あの震災から1年、3月11日は多くの方々にとって思いを巡らす日となったと思います。

一年前の早朝、私は夫に起こされてコンピューターの前に座らされました。ニューヨークタイムズ1面の“宮城”という文字が津波の写真と共に目に飛び込んで来て、凍り付いてしまいました。
仙台に生まれ育った私には、他の地震の多い土地で育った方々同様、地震への恐怖は常にありました。海外に住むようになると、時々自分の居ない間に町が消滅してしまう、という悪夢を見る事があったのですが、まさかその悪夢に近い出来事が起こるとは思いもよりませんでした。

それから家族の無事が確認される迄の時間は混乱と衝撃であまり覚えていません。

数時間後、姉の携帯メールだけがやっと繋がり、全員の無事は確認されたものの詳しい情報が全く判らず、次の日に母と実際に電話で話すまではコンピューターの前から動けませんでした。日本のニュース番組をそのままストリーム配信してくれた人の映像から暫く目が離せず、先の見当がつかない状態が続きました。

仙台市内でもライフラインが全てとまってしまったので、私の母もTVのニュース映像は見る事が出来ず、後日TVを見て相当驚いたとの事ですが、1年後の今でもドキュメンタリー番組などで初めて目にする被害の映像を見て、改めてショックを受けている様です。幸い震災直後は近所の方々と支えあい、ボランティア活動に忙しくしていた母ですが、その後は家の修復工事や、友人/知人の不幸が判明するなど、長い1年であったと思います。ふとした時に”当時はしばらく暖房も電気もない部屋で外に出れる格好のまま寝ていた”などと聞かされると返す言葉もありません。普通の暮らしを続けられるというのは本当に幸運なことです。

目に見えて早かった道路や主な交通機関の復活(リンク先の写真をクリックすると現在の様子に変わります)は別として、多くの被災者の方々にとってはなかなか進まない復興だとは思いますが、なんとか希望を捨てずにいて欲しいと願っています。

私にとって去年はこの大震災に加え、数人の家族や友人の大きな病気を知らされ、本当に命の尊さを実感した年でした。そして今、私と夫は新しい命を授かり、この春には家族が増える事になりました。この先何があるか全く判らない世の中ではありますが、まずは自分のできることをして、この新しい命を大事に育てようと思っています。

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